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小島邦彦 様より

 

人形師・岡本芳一に初めて触れたのは、知人だったジャズドラマーの故・古澤良治郎から

「人形師と伊那の河原で一緒にライブしてきた」という話を聞いたときだった。

彼らはこの頃にドイツへもツアーをしているのだが、私は古澤良治郎の話を聞くばかりで、

その人形師と会うことはなかった。

古澤良治郎とは三十年来の仲良しで、劇作をする私の劇中歌の作曲をたくさん手がけていて

くれて、その中の何曲かは彼のアルバムに納められている名曲があったりするのだが・・

彼と人形師とのセッションは、その後途絶えていた・・

それから何年もたった2008年の春に、人形師のアトリエの大家さんの知合いの勧めで

『どんどろ』の公演を観た。・・そしてその夜に「一緒に舞台を創りたい」というと

「いいですねぇ、やりましょう」ということになった・・

 

私は『ひゃくものがたり』というシリーズをしていて、コワイはなしを百話、一話づつ

舞台作品にして毎月上演し百作品をめざすという創作をしているのですが・・

(この一夜一話は現在も進行中で2011年4月の時点で第43夜目)・・

2009年1月『ひゃくものがたり』のスペシャルゲストに迎えて

『人形師・岡本芳一版/牡丹燈籠』の上演がかなった・・

お会いしてから一年にも満たない短期間での急接近だったが・・

この舞台が最初で最後の作品になった・・

怪談・牡丹燈籠の登場人物はたくさんいるのだが、最少人数で舞台化した・・、

『ひゃくものがたり』の主演女優/百の夜を駆け抜ける妖しき語べ/そのだりんと、

人形師/岡本芳一とその人形による作品となった。

人形師・岡本芳一の舞台ファンには、「部外者」との作品はいつも不評だったそうだが、

この『ひゃくものがたり』は「みんなスゴイいいって言ってくれて良かった・・

いつも不評なんだけど・・」・・と、喜びあった・・

信州の伊那のアトリエにお邪魔して極寒の1月に稽古合宿をした。

そのとき、過去の舞台に登場した沢山の人形たちと会うことが出来た。

目を引く人形のことを私があれこれ質問すると

「人形には主役が張れるのと張れないものがいる」というようなことを聞かされた。

どれも自らの創作した面なのであるが、「人間の役者と同じで器量がある」というのである。

言われて見れば確かにその違いが歴然としていて感動したのだが、どのようなテクニックが

その器量を決めるのかを聞き逃してしまった・・

それは、創作するときの意欲や思いだったりしたのだろうか?・・

しかし、彼は正に≪主役≫を作り出し、≪共演≫を果たしていたのである。

等身大の人形と共演する舞台、この例のない舞台を実現させたのは意欲や思いの強さが

あったからだと思えてならない。

『ひゃくものがたり』の稽古で演出の私に度々言っていたことがある、

「もっと言葉をたくさんください、どんな言葉でもいいです」・・

私はそれを・・彼と寄添う人形の言葉のように聞こえた・・彼も人形も言葉による

インパクトを求めていた・・

『牡丹燈籠』のラストシーン・・、雨戸の閉めきった蚊帳の和室で・・、

人形/幽霊のお露の屍が、岡本芳一演じる新三郎の首に喰らい憑いて絞め殺すシーンなどには、

「永いこと閉じ込められていた蛹がようやく孵化し、その蛾がもの凄い勢いで鱗粉を

撒き散らして暴れまくっている感じで闘ってください」などと演出した・・

白塗りの彼の足は、愛し合うお露の妖艶な内股だったり苦しがる新三郎の足の痙攣だったり

して・・憎愛憤懣なく鱗粉まき散らす凄まじい様相を演じていた・・

その他に印象にのこっていることがある、

彼は自分の創った人形にあまり余計な思いを持っていなかった・・

公演が終っても、人形を舞台にムヤミニ置き去りにしたままであったり、お客さんたちが

その人形を「触ってみてもいいですか?」などと恐る恐るお願いしたときなども

「どうぞどうぞ勝手にどうぞ」といった次第なのだった・・

共演した、そのだりんが「わたしも面を持ってもいいですか?」とお願いしたときも

「おお、いいですねぇ」と快く応じてくれたりもした・・

そのとき人形はいつも、彼の手から離れた≪共演者≫だったのだろうか・・

 

しかし、『VEIN-静脈』の舞台を観たとき・・

≪共演≫した人形は、彼の手から離れていなかった・・

というより、その人形こそその作家の岡本芳一そのものであって、彼は、その人形に寄添う

≪共演者≫だった・・

人形師・岡本芳一の操る他者であるべき人形が、息づく少女となって彼を操っていたのであった・・

私はこれを『ひゃくものがたり』の前年の夏に高円寺のバーで演られたのを観たのであるが、・・

このときすでに彼を死に追いやった病魔が身体を苦しめていたのか・・

開演前のひと時を、舞台になるだろうその店の隅で体育座りのその両足を両手で抱え

俯いて休んでいた姿は、舞台にオキザリニされた人形のようであった・・

だから尚更、人形が彼を操っていたように見えたのかもしれないのだが・・でも、

この作品には、岡本芳一の人形師としての計らいごとよりも、予感する余命への不安を

打ち払おうとする意欲と思いが創り上げた人形に、その「主役たる器量」を全うする

人形の意思があったように思う。

私は、彼の過去の作品をほとんど観ていないのだが、この遺作となった作品、

VEIN-静脈』は他のどの作品とも違う、人形師として新しい境地を開いた作品に違いないと

思っている。 

 

小島邦彦(シアターPOO主宰、演出家)

シアターPOO

 

かわさきひろゆき様より

 

岡本さんと僕

数年前に岡本さんを下北沢の映画館へ呼んだ事があります。その頃、映画館の企画で夜の演劇空間なるものをやっていて、初めての公演はいまでもロングランで他の劇場で続けている「小鳥の水浴」でありました。その後、サブカルの発進でもある下北沢で数年前に記憶のどこかに残っていた岡本さんの「百鬼どんどろ」をやりたいと思って、当時、夜の演劇空間にかかわっていただいた市川はるひさんの紹介で岡本さんとお会いできたのです。映画館でやれますか?と、聞いたとき、平台と箱馬を用意していただければ、ということで、平台はお隣のスズナリでお借りして、箱馬は新宿梁山泊におかりして映画館で妖しげで美しいどんどろの世界ができたのです。いまでもおもうのですが、あの時の岡本さんの踊りはすごかった。自分はおもうのですが、あの時、僕がプロデュースしたどんどろを超えるものはないんじゃないかと、自分なりにおもっています。多分、見えない部分で岡本さんと僕の戦いもあったのです。ここでできるのか?やれる!やってみせる!そういう思いが、なにかしらよかったのかもしれません。とにかく、岡本さんには本当にお世話になりました。家で三日三晩のみあかした事もあります。僕のかけがいのないおもいであり、戦いだったと思います。世紀監督のヴェインは岡本さんの最後のメッセージだと思います。でも本音いうとね、客観的にみると岡本さんはアート的じゃないんだよね。民族的であり、土着的であり、日本人であり、セクシーだし、よっぱらったらたたのおっさんなんだよね。なんちゃって。天国の岡本さんからおこられますね。最後に、家にとまっていたときに、うちのかみさん(かわさきりぼん)が作った人形をずっとさわりながら、「うう〜ん、いい人形だ」と笑っていた岡本さんの笑顔はいまだにわすれることができない財産です。その人形たちが、映画路地裏のコッペリウスで暴れまくったのです。ありがとう岡本さん。そして、その想いを素敵な映画にした渡邊世紀監督に乾杯!

 

かわさきひろゆき(俳優、演出家、オリジナル版「人形のいる風景」プロデューサー)