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ニヘドン様のブログより (4月26日)

 

試写会で「 VEIN - 静脈 」を観ました。
これは、人形遣い・岡本芳一( おかもと ほういち )の舞台作品

「 VEIN - 静脈 - 」を映像作品にしたものです。
監督は渡邊世紀 ( わたなべ せいき )。
この作品の前に、同じ渡邉世紀監督の
「 人形のいる風景 」も観ました。

ニヘドンは岡本芳一なる人形遣いの存在を、この映画作品で初めて

知りました。
そして、その Deep な表現力に一瞬にして魂を奪われました。
「 彼の生の舞台を観たかったな。」
そう。彼は昨年( 2010年07月06日 )62歳で病没しました。
凄い表現者の存在を知ったものの、もうその凄い表現者の生の

パフォーマンスを観る事は叶わない。
相変わらず意地悪な現実に愕然としました。

同時に、この作品を作った渡邉世紀監督に拍手喝采したくなりました。

よくぞ、この作品を撮ってくれました。
もし、この映画を観なければ、ニヘドンは一生、岡本芳一を知らずに

いたかもしれません。
例え誰かが、岡本芳一の素晴らしさを誉め称えているのを聞いたとしても、

スチール写真だけでは岡本芳一の岡本芳一なる所以を理解出来なかったと思います。
こういう、日本の芸術文化の歴史の中に、貴重な作品資料を残したと言う偉業を成し遂げた

渡邉監督に尊敬の眼差しをプレゼントするわ。
熨斗つけて。

渡邉監督本人は、「 VEIN - 静脈 - 」に台詞が無い事が、万人受けしないのではないかと

気にしている風でしたが、いえいえ全然!
あの作品は、台詞が無いからこそ、「 岡本芳一 」の世界を十二分に楽しめるのです。
ニヘドンなんか、こうしてブログ記事を書いている24時間前には、

岡本芳一の名前すら知らなかったのに、今では自分は岡本芳一の理解者であるかの様な

気になってしまっていますよ。( 笑 )

「 VEIN - 静脈 - 」の粗筋は書けません!
いつも映画の粗筋をブログに書く作業を趣味にしている、流石のニヘドンでも、

この粗筋は書けません。
ストーリーはこの映画を観る人の脳裏にしか存在し得ないのです。
この映画は、とにかく観て下さい。
そして感じて下さい。
素晴らしいです。

幻想とエロスの世界は、最初は泉鏡花みたいだと思いましたが、

映画を見終わった時に考えを改めました。
泉鏡花の幻想の世界は、手では掴めない蜃気楼の様なもの。
それに比べて、岡本芳一の人形は確かに其処に存在します。
作品の中で岡本芳一が人形を床に投げ出します。
ガチャンと大きな音がします。
確かに、其処には「 固体 」が存在しているのです。
きっと、生の舞台では、手を伸ばして人形に触わる事も出来る筈です。
作用と反作用の物理の世界で説明出来る存在の筈なんです。

岡本芳一は、「 人形のいる風景 」の中で、「 人形は器である 」と述べています。
だから「 空っぽ 」でなければならないらしいのです。
今まで、人形には魂が宿ると唱える人は大勢いました。
「 空っぽ 」だと言ってのける人形遣いは初めてです。
そんな岡本芳一が操る人形が、生身の女性よりもしなやかに艶かしく動くのは

どうしてなんでしょうか?
その秘密を、彼のパフォーマンスから知りたいと思っても、
もう彼はこの世に存在しません。
深い喪失感に苛まれながら、試写会場を後にしたのでした。
だから尚更、この映画の価値が際立つのです。
「 遺作 」--- この言葉の重みを感じながら家に帰りました。

「 VEIN  ~ 静脈 ~ 」の上映時間は58分です。
その間に、様々な想念が頭を過ぎりました。
岡本芳一をクラシック・コンサートのステージに引っ張り上げたら、どうよ?
二へドンが毎年行く、ラ・フォルジュルネ・オ・ジャポンでは、
舞踏家の勅使河原三郎が、チェロ奏者と「 共演 」して、
二へドンはこの演し物が大好きなのです。
オペラにだって、引っ張り出せるよね。
METライブ・ビューイングの昨年の「 蝶々夫人 」では、

蝶々夫人の子供を黒子が動かすパペットが演じました。
見事な演技に、涙が止まりませんでした。

世間一般の人は、人形なんて、ただの子供の玩具位にしか思っていないと思いますが

もしかしたら、人形の方が文化の主役なのかもしれないとか、
地球の住人は実は人形の方で、それを鑑賞している筈の「 自称・人類 」の方が

実は人形達に鑑賞されているのかしら、とか言う類の想念が

二へドンの脳の中を、ぐるぐる回るのです。
岡本芳一が主宰していた「 百鬼どんどろ 」は、こんな風に見事に
二へドンの脳みそをかき回してくれました。

百鬼どんどろと、ラテン音楽の組み合わせはどうよ?
どんなタンゴ・ダンサーよりも、セクシーに踊ってみせてくれるに違いありません。
もう、いっその事、ロック・ミュージックとか、ノイズ音楽とかね。
もし、まだ岡本芳一が生きていたら、二へドンは彼の所に押し掛けて、
「 あれ、演って下さい!」「 これ、演って下さい!」と
リクエストの嵐をしてしまったかもしれないですね。

映画「 VEIN ~ 静脈 ~ 」に、話を戻しましょう。
この映画の中で二へドンが注目したのは、「 音 」です。
台詞が無い代わりに、様々な「 音 」が非常に印象的に耳に残ります。
信州の雪の季節の中、部屋のストーブの上に置かれたヤカンが、
お湯が沸騰した蒸気の音を、ずっと聞かせてくれます。
ヤカンのふたが小さくカタカタカタカタと小さく音を刻みます。

その音の余韻を、耳がまだ引き摺っている内に、画面には
トンネルの通路を引き摺る白い包帯の端っこが、ゆっくりと流れて行きます。
もうその時には、実際には聞こえないカタカタカタカタという音を
記憶が復唱し、その目の前を、音も無く、白い包帯がゆっくりと通路を
過ぎって行く。 恐らく、凡庸な神経の持ち主だったら、
包帯が引き摺られる音は「 ズルズル 」とイメージすると思うのですが、

その時の二へドンの感覚では、
金属のカタカタカタカタ・・・・と、布の音の無いズルズルがシンクロして、

何とも不思議な体験をしていました。

トンネルの天井から水が滴り落ちます。
その水の落下音がトンネル内で反響します。
この反響音も、ごくごく僅かですが、ずっと長く記憶に留められます。

人形は手足を包帯で巻かれていて、同じく白衣を着て、頭に包帯を巻いた
岡本芳一がハサミを取り出し、人形の包帯を切ります。
カチン!と言う金属的な音が木霊し、思わず身を竦めました。
乱暴なハサミの使い方に、思わず「 痛い!」と叫んでしまいそうでした。
普通、包帯をハサミで切る時には、肌を傷つけない様に、そっと切るものじゃないですか。
まるで己のしがらみか何かを断ち切ろうとするかの様な有無を言わさぬ

強い意志の下のカチン!なのです。
その音が反響した瞬間、画面には別の風景が挿入されます。
それが何度か繰り返されます。
カチン! 風景。 カチン! 風景。 カチン! 風景。

水道の蛇口から、激しく水が迸り出ます。
今度はジャージャー言うその音に感覚を委ねます。

岡本芳一と人形が何も無いガランとした部屋の中でのパフォーマンスの間も、

どこか遠くで、水が滴り落ちる反響音が、ぼんやりと聞こえて来ます。
目はスクリーンの映像を追いつつも、耳は、また反響音がするのではないかと期待しながら

待ち受けている自分に気が付き、ハッとします。

この映像作品は、体験する映画なのだと思いました。
100人の人が見たら、100編の違った作品が生まれるのだろうなと思います。
だから荒筋なんて書けないんだよ。
この作品は2011年06月下旬に公開予定です。
07月06日が岡本芳一の命日なので、それに合わせて公開したいとの
渡邊監督のお話でした。

この映像作品は、本当にお奨めです。
「眠り姫」がお好きな方は、この「VEIN~静脈~」も是非是非です。
これから新しく映像作品を作るなら、こういう風でなきゃね!!
と、二へドン太鼓判の映画です。
皆さんも、絶対に観に行くように!!

 

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